ある一日・昼の巻⑧

じつはここまでしか書いてない。
三年かかってここまでなのです。
とりあえず、続きはしばらくお待ちください。


ある一日 昼の巻⑧


 昼は基本的にひとりで食べる。でも誘いはほとんど断らないし、複数で食事するときには、たいてい相手に合わせる。自分がひとりで行くような場所に、連れを案内することはまずない。それが彼のランチ・スタイルだ。
 ひとりだと、誰に遠慮もしなくていい。見栄も張らなくていい。好きなもの、おいしいものをふところ具合と相談しながら自由に決めることが出来る。たとえば、ひとりだと定期券で移動できる範囲で違う町に行くこともできる。大学の学食にもいけるし総菜屋でおかずとご飯を買ってお堀端のベンチで池の鯉を見ながら食べることもできる。単独だと入りづらい店もある。たいていは比較的値段の高い店だ。そういう店では昼の短い時間でたくさん売り上げようとして、効率とか回転率とかを高めるよう教育された案内係がいるから、そのいいなりになるしかなく、テーブルに相席を強要されるので気分は落ち着かない。
 さて、同僚たちは混雑する時間帯を避けて、1時過ぎとか、場合によってはランチタイムの終わった2時過ぎに出るものも多い。彼はほとんど朝食をとらずに出てくることが多いので、昼前に空腹感がつのるタイプだ。今日は、朝食はとったとはいえ始発の電車で仮眠しただけなので、体力の消耗がふだんより烈しいらしく、すでに腹の虫はぐうぐう鳴っている。
 ビル周辺は、どちらかといえばオフィス街で、昼食時間ともなるとどっと人がくりだす。ただ、昼間人口の胃袋を満たすほどに食堂・レストランの数は多くない。そこで、店によっては行列ができる。それをきらって、コンビニの弁当ですます人もけっこういる。弁当屋は、専門店もあるし、すさまじい種類のおかずをとりそろえている惣菜ショップもある。また、この時間だけ軽トラを改造した弁当販売車が裏通りに店を広げていたりする。
 彼の足は最近よく通うようになった一角に向かっている。
 少し前、松屋で売り出した「チキンカレー290円」に、予想よりずっと本格的なカレーだったので感動し、しばらくそればかり食べていたことがあったが(一日三食食べても千円いかない!)、さすがに飽きて、いまはその二軒となりの立ち食いそばに毛の生えたような店がお気に入りだ。
 注文したものを受け取ってトレイに乗せ、二階に運べば広いスペースでゆっくり食べられる。混雑時でも人であふれていることはない。穴場といえるだろう。彼はそこでそば湯を飲みながら何時間も本を読んで過ごしたことがある。しかも、24時間やっている店なのだ。かき揚げ丼、とろろ丼、ねぎとろ丼、この三種類のどんぶりとそばのセットが基本だ。そばにもかけ、ひやかけ、もりの三種類があり、自由に組み合わせられる。ひやかけというのはほかで聞いたことがないが、冷えたつゆがそばにかけられたもので、夏向きだ。
 こういう組みあわせで値段は安く、ねぎやわさびは勝手に使い放題、とくれば、もっと人気が出てもよさそうなものだが、意外にこういう店に来る客は口コミしない、つまり人に教えないのかもしれない。案外、彼の同類が知らず知らずのうちに集まっているのかもしれない。彼は「かき揚げ丼セット(そばはもり、そば湯つき)」(480円)を乗せたトレイを窓側のカウンターに置き、腰を下ろした。