ある一日・朝の巻②

電車男は名前のわりには電車男でなかった。
ほんとうに電車男の名に値するのはこの男のほうだろう。
なにしろこの男にとって電車は単なる名詞ではない。
「電車する」といった具合に動詞として使われるほうが多いのである。
ちなみに携帯メールなどで彼から「いま電車してるところ」という
メッセージが届いたとしたら、それはゆったり座って寝ながら、
終点から終点までを往復してます、という意味に近い、と思う。
さてきのうの続き。


ある一日 朝の巻②


 朝の5時半から8時半という時間を丸々睡眠に充てることができたら、たとえ徹夜をしていても体力はかなり回復する。翌日さらに無理を重ねたりしなければ、日常の仕事にそうさしつかえることはない、ということを、彼は経験でよく知っている。
 そこで、すばやく良質な睡眠をとれる場所に身を置く必要があるのだが、3時間という半端な時間は、ホテルのベッドなど本格的な場所には不向きである。つい寝心地がよくて6時間も眠ってしまう、などということが起こりかねないから。そういうことがあってはならないのだ。まして家に帰るのは往復で2時間以上を費やしてしまうから論外だ。
 この数年、都心に増え続けている「マンガ喫茶」という場所は、24時間いつでも入れる上、リクライニングの椅子を用意しているので、仮眠には向いている。
 しかし、朝の5時半という時間だと、そのリクライニング席が他の客に占領されていることも多く、しかたなく硬い椅子にすわり、木のテーブルにつっぷす、などということもおおいにありうる(実際にそういうことがあった)ため、彼は最近マンガ喫茶を敬遠している。で、もっぱら電車を愛用しているわけだ。
 さて、地下鉄はたいてい京王線東急線小田急線などの私鉄に乗り入れているので、ある駅を過ぎてしばらくすると地上に出てしまう。すると、車内に入り込む光の量と質が急変するので、深く眠り込んでいてもそれに反応して一瞬目覚めてしまうことが多い。いままで眠っていた彼の眼も、うっすらと開かれているようだ。
 都心から抜けて、郊外の、空気の比較的きれいな地域を走る電車に差し込んでくる朝の太陽の激しく明るい光、そして急に眠りから半覚醒状態に引き戻されて朦朧とした意識。この組み合わせから得られるのは、ちょっとしたドラッグ体験、といってもいい感覚だ。
 乗り降りする人たちの姿が強烈な光の中で揺れている。人が揺れるたびに虹のようなものがその人の形に沿って揺れる。見ているうちに、まるで自分のタマシイもいくぶんか幽体離脱して光のなかに入り込み、一緒になって揺れているような気分になる。
 そんな感覚を味わったかと思うと突然意識がとぎれ(また眠りに引き込まれ)、しばらくしてまた半分目覚める。その繰り返しである。いつのまにか窓外に山がくっきり見えるようになっている。丹沢や秩父方面の山々だろう。早朝から、思いがけない幻覚体験までプレゼントして、仮眠する企業戦士を乗せた電車は、一路、終点に向かってひた走る。
 この時間になると、途中駅で降りることは許されない。都心に向かう電車はラッシュアワーの真っ最中だからだ。席に座ることはおろか、つり革につかまることすらできない。ぎゅうぎゅうづめの中に身を置いてうつらうつらができればいいが、荒っぽい運転のあおりで乗客の塊りが前後左右に揺れ、ひどい重圧で骨がきしんだりすることもある。たいていの場合、眠るどころではないのだ。
 したがって、終着駅まで行く。そこから、もしその電車が車庫行きなら乗り換えるが、そうでなければすわったまま逆戻りするのである。そろそろ8時だ。