ある一日・朝の巻③

昨日の続き。電車男がいよいよ電車をおります。
末尾の「このペースでは会社に着くまでに一年もかかってしまう」とあるのは、
この文章が季刊で出されている「RABOKU通信」という小さな媒体(要するにミニコミ)に連載されたものだから。これは今でも続いていて、
三年かかって一日の半分ぐらいたったかな。この一日はまだ終わっていないのです。


ある一日・朝の巻③

 ひたすら眠ることのみ追求した早朝からの電車の旅も、そろそろ終わりにさしかかっている。などというと、まるで一日の終わりのようだが、これから彼の、会社員としての一日が始まろうとしているのだ。
 九時過ぎ、地下鉄の最寄り駅に到着して下車。
 始業時間は午前十時だ。たっぷりというほどではないが、まだ多少、余裕がある。
 新宿三丁目駅で乗ってから三時間以上を経過しているので、気分としては、ずいぶん眠ったという実感がある。だがそれは時間の経過感を伴った睡眠、つまりそれが仮眠の仮眠たるゆえんなのだろうが、ずるずると自分の置かれた現実(電車の中にいること)をひきずったような睡眠なのである。当然のことながら、浅い。体力・気力が回復した気になったとしても、ほぼ一日しかもたないだろう。
 さて、彼は、軽く朝ごはんを食べておこう、と思う。
じつは新宿三丁目でも、神戸らんぷ亭の朝の定食という誘惑はあった。朝食を牛丼屋系で食べるか立ち食いそば屋系で食べるかは、いつも悩むところである。値段と味とバラエティ。だがこの日は眠気と手打ちそばの「ゆで太郎」が出す朝の納豆定食の誘惑が、やや勝った。それで、まず電車に乗って睡眠をとり、下車した後の朝食となった。地上に出て横断歩道を渡ったところに、その店はある。
 二百九十円。コインを三枚、自動販売機に入れて朝食のボタンを押す。定食のチケットとともに十円玉が一枚落ちてくる。カウンターに食券をおいて「納豆定食」というと、用意された膳にかけそばが新たに加えられて、どうぞ、と景気のいい声が響く。
 膳をもって席に着く。店内の客は数人しかいない。
 まず、生卵を割ってしょうゆを数滴たらして溶き、ごはんにかける。焼き海苔5枚が入った透明の袋を裂いて、一枚、卵のかかったごはんにかぶせ、割り箸で包み、口に運ぶ。これを5回繰り返すとごはんは約半分に減る。途中、かけそばを何度かつるっと口に入れている。
 ようやく納豆の出番である。納豆は市販のもので、紙製の小さな容器に入っている。上の覆いをとると、カラシと薄口しょうゆがそれぞれ一回分、セロファン状のものの仕切りをはさんで納豆の上に載っている。かつてはこれの扱いが多少やっかいだった。
 隅に切れ目がいれてあるので、慣れればなんということもないのだが、つい片方の指に力が入りすぎて、ぴっと破った時にカラシが勢いよく飛び出してきて、反対の指に付着したり、テーブルの上に漏れてしまったり。しょうゆのほうも同様で、うまく全部を納豆の上にかけられたら、なんだかほっとしたりしたものだった。いまはもうほとんどミスはない。そうして、納豆をぐるぐるかきまぜる。
 いよいよフィニッシュの準備が完了した。卵の色が少し残っているごはんの上に、ねばねばの納豆をかけ、まぜあわせる。その納豆ごはんを一気にかっこんで、かけそばのつゆで押し込む。どんぶりの底に残ったそばを最後につるつるっと飲み込むと、おしまいである。この間、約5分。
 さて、ゆで太郎を出て少し歩いたところにヴェローチェがある。コーヒーチェーン店だ。気分をしゃんとさせるために、コーヒーの濃いやつ、つまりエスプレッソを飲もうというのである。いかん、コーヒーチェーン店やそこで飲ませるコーヒーのことで、もう一回かかりそうだ。会社にたどり着くまでに、一年もかかってしまう。なんということだ。