ある一日・昼の巻①

やっと会社にたどりつき、いよいよ会社員としての一日が始まる。
ぼくもいま会議が終わったので食事に出かけるところ。


ある一日 昼の巻①

 彼の勤めている会社には受付という不思議な場所がある。
 朝の九時半ごろから、人材派遣の会社からえりすぐられた、見ばえがよく応対もてきぱきした女性が二人、そこに並んで坐り、出勤してくる社員ひとりひとりに笑顔と明るい挨拶の声をふりかけてくれる。来社する客にはやたら評判がよく、彼が勤務するその会社の若手男性社員もすでに二人、受付の女性を口説き落として自分の嫁さんにすることに成功している(二人とも、その後退職してしまったが。二人というのは、女性もそうだが男性社員も、なのだ。周囲の嫉妬の視線に耐え切れなかったのであろう、という声がもっぱらであるようだ)。
しかし、彼女らに見られずに会社の内部に入ることはできない、という理由で、彼はその前を通過する時、いつも、やや不穏な気分になる。全身をさりげなくチェックされるような視線を感じてしまうのだ。とくにきょうのように、前日とまったく同じ服装の時などは余計そうだ。まさかとは思うが、ネクタイがきのうと同じだということに、彼女たちは気づいてるんじゃないだろうか。そして、「彼、昨晩家に帰らなかったんだわ。あやしいぞ」みたいに、さまざまな想像を勝手にして、楽しんでるんじゃないだろうか。まあ、勝手に楽しんだりしていても一向に構わないが、それを同僚とのおしゃべりのネタにしたり、毎日総務部に報告などしていないだろうな。
 そんなことを考えながら受付の横を通過し、タイムカードを打ち込む(彼は頑固にカードを使っているが、社員の大半は自分の「指紋」でできるようになっている)。余裕で定時前の出社を確認して、彼は受付の左手にあるエレベーターの乗り場に向かう。
二基並んでいるエレベーター。この脇に貼られていた注意書きが、当初、どういう意味かまるでわからず彼は異様な感じを抱いたものだった。
「お願い エレベーター籠内への物品の搬入・搬出は、損傷等に十分注意して実施願います。また、現設置の養生より高い位置へ物品を積載する場合は養生強化して作業実施願います。 管理室」
問題は後半の文に出てくる「養生」というコトバだった。これが「病後に養生する」とかの「養生(ようじょう)」と同じ熟語ながら、単にエレベーター内の壁を覆っている絨毯のような緩衝材を指しているということが分かったのは、しばらくたってからだった。
5階のボタンを押し、その養生にもたれながら、彼は階数表示が移動してゆくのを見守る。10秒ほどで目的階に到着して、エレベーターのドアが開いた。廊下を横切り、ドアを開けるとすぐオフィスの空間が広がっている。事務用デスクが密集した「島」が10ほどあり、そのひとつに彼のデスクもある。室内には、まだそれほど人がいない。彼はバッグを床に置くと、椅子を引いて、腰を下ろす。