ある一日・昼の巻④

きのうの寒さにやられた。
ひどい夜だった。一時間ごとに目が醒めて、水を飲み、
小便をした。汗びっしょりになればいいと思ったが、
なかなかならなかった。
きっと熱があったろう。明け方、すっと抜けるのがわかった。
峠を越えたと思った。本格的な風邪の領域に入る手前で、
こっちの世界に戻ってきたみたいだ。


ある一日  昼の巻④


 らせん状になっている階段をぐるぐるまわりながら一階まで下り、受付の前を通ってロビーに入る。すでに営業部の若い社員がふたり、先にきて彼を待っていた。そこは大学の学生食堂を思わせる実用本位の作りで、長方形のテーブルがずらっと並んでいるだけだったが、よくみるとそのテーブルと椅子は白木製で、学生食堂のように安っぽくはなかった。
 ロビーは禁煙になっているが、そうなってからまだ年数は浅いようで、どのテーブルにも白い木の表面にいくつか黒い焼けこげがついている。おそらく来客と社員が打ち合わせをしながらタバコに火をつけたあと、つい話に夢中になって、吸いさしが灰皿からぽとりと落ちたのに気づかず、焦がしてしまったのだろう。総務部長がそのテーブルの高価なことと、焼けこげをつくった「犯人」への呪詛・断罪の言葉をディスカッションにアップしたのだが、その語調がいかにもヒステリックで、大声でわめいているようだったのでつい笑ってしまったのを彼は記憶している(「ディスカッション」とは、全社員に配給されているパソコンの社員共用画面で、社員への通達や稟議のたぐいはほとんどここで行われる)。ロビーでの喫煙が禁止になったのはそれからまもなくのことだった。そして現在、喫煙は2階に設けられた狭い喫煙室でのみ許可されるようになっている。彼もたまにその部屋を覗いてみるが、壁はもちろん天井まで薄汚くにごり、たえず濛々と煙が立ち込めて人の顔もはっきり見えない。そこまでして喫煙する気にもならず、社内にいる間はほとんどタバコをやめた生活が続いている。
 彼は営業部の若手二人の前に資料を置くと、「ちょっと飲み物をとってくる」と言って部屋の奥に行った。大小五つほど並んだ会議室の間を抜け、トイレのそばに二台並んでいる自動販売機に近寄ると、各自に渡されているカード(通称・ジュースカード)を差し込み、ミネラルウォーターのボタンを押した。落ちてきた小さなペットボトルを取り出し、戻ってきたカードを引き抜いてパス入れにしまいながら、横のガラスケースに目をやる。そこは最近の自社制作物の陳列棚だ。つい一ヶ月ほどの間に百点を超える雑誌・書籍の新刊が刊行されている。「最近の出版傾向」について多少頭をめぐらせながら、打ち合わせの席に着く。二人に対面しつつ、ペットボトルのキャップを回して水を飲む。
 二人のうちのひとりがなにかを質問した。それに対して彼がこたえる。もってきた資料からなにかを抜き出し、二人によく見えるように広げる。
 もうひと言ふた言やりとりがあって、打ち合わせは終了した。資料を全部二人にあずけて、彼は立ち上がる。そろそろ午だ。